園田智代子のチョコっとブログ♪

chiyoko ちょこっと ダイアリー

ever free

 彼らの果敢な決断と行動、彼らと行動を共にしないすべての若者をすべての人間を非難し虫ケラのように侮辱するその行動の底には、あくまでも若さとか青春の情熱といったものが免罪符のように隠されているのだ。いざとなればいつでもやり直し大目に見逃してもらい許してもらえるという免罪符が。若き日とか青春といったものを自分の人生から切り離し、あとで挫折し転向したときにはとかげの尻尾みたいに見殺しにできるという意識が。もともと過去も未来も分けられぬたった一つの自分を切売りし、いつでも自分を「部分」として見殺しにできる恐るべき自己蔑視・自己嫌悪が隠されているのだ。
 でもぼくにはそんなことはできない。ぼくだってもちろんこの現代社会が明らかにウサンくさくそして大きく間違っていることを知っている。だからぼくだってそれがどうしても必要だと分ればいつだってゲバ棒をとるだろう。それが自分だけのためではなくみんなを幸福にするためにどうしても必要であり他に方法はないということが、誰でもなくこのぼく自身の考えで何よりもこの胸で分った時には。でもその時にはぼくは、ただ棒をふりまわして機動隊とチャンバラをしたり、弱い大学の先生を追いかけたり、そしてそのことだけでも問題提起になるなどと言い訳めいたことは言ったりせず、しかし確実に政府でも国家権力でもひっくり返すだろう。やれるだけやればいいなどと言っていないで、ちょうど由美を襲う暴漢の息の根を確実にとめるように、必ず絶対に、あらゆる権謀術数、あらゆる寝わざ裏わざを動員して、時には素早く時にはずる賢くそして時には残忍極まる方法を使ってでも、確実にぼくのそしてみんなの敵を、それが政府だろうと国家権力だろうと絶対確実に倒し息の根を止めるだろう……。
 でもこれは明らかにぼくの捨て台詞だった。